当たり前の日常の有難さ

当たり前の日常の有難さ

当たり前の日常の有難さ

 

私は、意図的に実話の戦争映画を
見ることがあるのですが、
映画を見て、必ず思うことがあります。

ユダヤ人の大虐殺の出来事や、
ひめゆりの塔という話……
もし、この映画の世界に、時代に、
生まれていたらどうなっていたのか?
ということです。

生きていく上で、環境ほど
人生に影響するものはありません。

その中で、人種によって差別され、
人間扱いされず、選択肢もない中で
理不尽な理由で命を失うのです。

私は、あのシーンを見るだけで
震えるくらい恐ろしくなり、
正義や原則なんてどこにあるのか、とさえ思います。

どんな事も人の思考が
現実化したものだと思うと、
人は神様のようにも、
悪魔のようにもなる可能性があり、
人がいる限り完璧な事などないのだと思います。

何より、自分の今の人生とは
比べ物にならない人生を
生きた人がいることを思うと、
今、悩んでいることなんて
小さい事に思えてきます。

そして、感謝が深まります。
しかし、人の悩みは、
今よりも良くなればなくなる
という事はありません。

どれだけ有難い状況であったとしても
当たり前になってしまえば、
良くも悪くも、人は慣れていきます。

そして、根底に感謝の気持ちがない人は
どれだけ恵まれた環境や状況になっても
不満をつのらせ、不幸だと言います。

逆に、どんな状況になったとしても、
感謝の気持ちがあれば、幸せになります。

人生は良い事ばかりではないからこそ
不満をつのらせるばかりでは、
幸せにはなれません。
物事は、常に表裏一体なのです。

改めて、何と比べるのかによって、
今の状況に対して
感謝を思い出すことも、
不満を言うことも、
どちらを選択することも
できるのではないでしょうか。

すべて当たり前ではありません。
不幸はいつも、
感謝の欠如から起こりますよね……
もう一つ、
私が実話の戦争映画を見て
パワーアップする理由があります…!
続きは、FeelingNowでお話します